世界で最初の全自動タマネギ皮むき機です。
街の洋食屋さんが開発しました。
● 調理の作業を助ける機械
玉ねぎはカレーや牛丼などには欠かせない素材であるが、玉ねぎを刻むと刺激臭が発散し、涙が止まらなくなる。剥いた玉ねぎからは、硫黄を含んだ硫化アリルという催涙性の成分が発散するからである。眼や鼻を刺激するため、料理店の調理人にとっても玉ねぎを刻む作業は嫌なことである。玉ねぎを皮剥きしてくれる機械があれば、調理人の毎日の業務が楽になるはずである。
オニオンエム(小林二郎社長)は、世界でも珍しい玉ねぎの全自動皮剥き機『玉ジロー』を開発した会社である。しかも、この機械は根とヘタを同時に切取り、玉ねぎをむき身の状態に加工できる優れた能力を持っている。
● 必要に迫られた開発
小林社長は昭和三十九年に神田神保町で『キッチンジロー』という小さな洋食店を開業した。値段の割に味が良かったため繁盛したのだが、将来のことを考えて多店舗化を考えた。店で働いていた職人に新しい店を任せ、店舗の数を増やすことにしていった。
多店舗化の計画は順調に進んでいったのだが、店によって味が違ってくる問題が発生した。店長の調理の腕が違うため、料理の味が変わってくるからだ。全店で同じ味を維持するため、昭和五十年からセントラルキッチン方式を採用することになった。調理工場で食肉や野菜を下ごしらえし、半加工の状態で食材を各店に配達するのである。
この調理工場での作業に玉ねぎの皮を剥く工程があったが、この作業は前述したように誰もが嫌がる辛いものであった。パートを採用しても離職する率が高く、外国人も働かなかった。この作業を自動化する必要があり、平成元年に市販していた玉ねぎの処理装置を購入してみた。この機械は、V字形をした刃が左右から飛び出して根を切り取る構造のものであったが、二つの刃が正確に根の部分に嵌まらないため失敗率が高く、予想していたような能力を発揮できなかった。購入してから半年で廃棄し、それから暫くは自動化の計画は中断してしまった。
● 改良と試作の連続
平成四年に小林社長はキッチンジローの役職を退いたので時間の余裕ができ、以前から温めてきた玉ねぎの処理機の研究に取りかかった。一番の問題は玉ねぎの根を切り取るための機構で、従来のような刃物では実現できなかった。ある時、電動ドリルで木材に穴を明ける木工作業をしていた際に、ドリルの回転刃で玉ねぎの根の部分を堀り取れば良いのではないかと気がついた。刃物で切るのではなく、回転刃で玉ねぎに穴を明けるという斬新な発想であった。
早速、社長自身で実証機を自作することにした。木材で机のような作業台を組み立て、真ん中に玉ねぎを置く穴を明けた。作業台には木製のアームを上下に動くように連結し、アームの先端には電動ドリルを固定した。さらに、作業台の裏側には水平に移動できる回転刃を取り付けた。この自作機では、作業台の穴に玉ねぎを逆さに載せてアームを下げると、ドリルが玉ねぎの根の部分に穴を明け、根を取り除くことができる。同時に、作業台の裏の回転刃が水平に移動し、穴の下面に露出した玉ねぎのヘタを切断する。根とヘタを取り除いた後は、圧縮空気を玉ねぎに吹き付けて表面の皮を剥がすことができる。これらの動作で、玉ねぎをむき身に加工できることが実証でき、この原理は現在の『玉ジロー』の基本的構造となった。
アイデアを実現させる実証機は木製であったので自作できたが、金属製の処理装置は小林社長には無理であった。本格的な処理装置の設計と製造は外注することにし、第一号の試作機は平成五年三月に完成した。直ちに、食品加工機械の見本市に出品したが、ブースの周りに人垣ができるほどの大変な反響となった。それまで、玉ねぎの根とヘタを同時に切り取り、皮を剥ぐことできる処理装置は無かったからだ。この第一号は欠陥だらけであったので、販売はしなかった。しかし、見本市での業界の反応により、この機械は売れるはずだ、という強い確信を小林社長は感じ取ることができた。
その後、改良を続けて平成八年には4号目の試作機を製作し、販売することにした。数台は売れたのだが、ドリルの刃が根に付着した砂で磨耗するので、長期の稼働ができない苦情が入ってきた。また、玉ねぎの皮を剥ぐ機構でも欠陥が見つかったので、販売はひとまず中止し、さらなる改良をすることになった。
平成十二年には十五号目の試作機が完成したが、この試作機はほぼ理想の機能を持ち、狭い調理場にも設置できるように五十センチメートル四方の床面積に納めることができた。この年から本格的に玉ジローの営業活動を始め、それ以降は、毎年十数台を販売できるようになったが、ここに至までには八年の歳月がかかり、出願した特許は十五件、実用新案は四件にもなった。試作機の設計と製作は全て外部に委託したため、一台の試作機を製作するには三百万円前後がかかった。これまでに投入した開発費は累計で数千万円にものぼり、玉ジローの開発は小林社長の道楽のようなものであった。
● これからの展開
小林社長が想定した玉ジローの販売先は、一日に二~三百キログラムの玉ねぎを処理する料理店であった。この程度の量を処理しなければならない企業は国内に多いようで、弁当屋、惣菜屋、給食センターなどからも注文が舞い込んできた。さらに、昨今では食料品の原産地表示(トレーサビリティ)による予想もしない新しいマーケットが現れた。無農薬野菜や有機野菜を使用している料理店が玉ジローを購入するようになってきたからだ。無農薬野菜の使用を表示している料理店でも、それまでは玉ねぎの皮剥き作業を外注していたところが多かった。だが、外部に委託すると農薬を使った玉ねぎが混じることもあり、品質の保証ができなくなる。玉ジローを社内に導入することで、玉ねぎの原産地を正確に維持することができるようになった。思わぬマーケットが追い風となり、これから玉ジローの販売は増加していくようだ。