上海万博 その7 最終編

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万博なんてもういらない。


上海万博の会場内には高い建物が見当たらない。過去の万博では、その会場を象徴するような高い建物が建設された。パリ万博ではエッフェル塔が、大阪万博では太陽の塔が建設されていて、他の万博でも同じように会場内を見渡せる高い建物があった。だが、上海万博ではそれらに匹敵するような、高い塔が無いのである。ひょっとしたら、テロ犯人が侵入し、狙撃されるのを防止するために建てなかったのではないか、と勘繰ってみた。
それでも、会場内には一段目の写真にあるようなハンバーガーの形をした展望台があった。これは万博文化センターという名称で、内部には劇場とレストラン街があるそうだが、無料で入れるのはハンバーガーのパンの隙間のような部分である。二段目の写真はその回廊であり、金網越しに会場の全域を見渡すことができた。この日は心地よい風が吹き、天候も良くて見渡すには最良の日であった。三段目、四段目の写真は回廊から撮影した会場内の風景である。
ここで、私は上海万博は何のために開設されたかを考えてみた。
① 日本人の関心が薄かった。
出発前に書店で上海万博のガイドブックを探したのだが、全くと言っていいほど無かった。その時は「不思議だな、何でガイドブックが無いのだろうか」と感じた程度だった。それと、上海万博を正面にすえたパック旅行が無かった。何かの中国旅行の一日に組み合わせたものはあった。例えば、「杭州4日間ツアー」とか「南昌5日間ツアー」の中に一日だけ或いは半日だけの会場巡りを組み合わせたパック旅行である。どうも、日本人の万博に関心が薄いのか、と考えていたのだが、それよりも以前の問題で、上海万博にはそれほど魅力が無かったのであった。魅力のないイベントにはわざわざガイドブックを編集しないだろうし、パック旅行も集客できないのであった。旅行業界はこの万博の開催前から上海まででかけて見てみるだけの価値は無い、と判断したのだろう。
② 中国人のための万博。
会場内を歩いてみたところ、外国人は殆ど見かけられなかった。今回の博覧会での出展国数は240ヵ国を上回っている、というのが中国政府の自慢なのだが、万国博覧会ならば世界各地から見学者が来てもいいようなものだが、どこにも外国人の姿が無い。会場に入ってから気がついたのだが、会場案内地図に日本語のものが用意されていなかった。中国語で印刷されたものはどこでもばら蒔いていたのが、それ以外は用意されていないのである。英語で印刷された案内地図は、案内所の担当者に問い合わせたところ引き出しの中からやっと出してくれた。どうも、中国政府は外国人観光客の誘致は最初から頭になかったのではなかろうか。
どうも、上海万博の開催趣旨は、中国人にたいして国内の情勢を再発見させ、国力を学びとらせるための学習の場ではなかっただろうか。どこのパビリオンでもこれからの中国社会の向上が細かく解説されていて、将来は世界一の生活水準になるのだ、というアッピールが見かけられる。政府によって国民にもっと頑張れ、と言っているような気がした。
③ 新鮮味が無かった。
上海の広大な土地に幅広の道路を建設し、超近代的な建物を配置したことは素晴らしいものであったが、会場内では特に優れたものは見当たらなかった。電気自動車、立体映像、新型のロボット、大画面のハイビジョンなどがあったが、それらは日本でもう見飽きた代物である。最先端の技術により驚かされるような商品は見当たらないのであった。胸が驚かされるようなワクワクするような場面がなかったのである。ハッキリ言えば、もう日本国内にあるものばかりであり、将来につながるような新商品はなかった。
だが、中国の内陸部の農村から出てきた中国人にとっては、もしかしたら驚かされるような世界かもしれない。それを狙って中国政府はこの万博を押し進めたのかもしれない。
④ これからの万博。
今までの万博の歴史を振り返ると、そこには技術進歩や生活の向上が見えていた。万博に出かけたことで新技術に触れ、刺激を受けたという話は良く聞く。明治時代、大正時代の人達の伝記や記録にはそんなことが多くある。だが、これからは万博はもう盛んにはならないのではなかろうか。
世界の情報はテレビやインターネットで瞬時に個人にまで伝えられている。新しい技術や新製品などは発売と同時に周知となっている。大阪万博が開催された当時に比べて情報の伝達は早すぎるのである。また、新商品が一般消費者が購入できるようになるまでの時間が短くなってきている。万博会場で展示されていた商品が、消費者に手の届くまでの時間が極端に早くなってきている。ひょっとしたら、万博を企画している最中に新商品だと騒がれていたのが、2、3年後に万博を開催してみたら皆がもっていた、ということになりかねない。すると、これからの世の中では万博なんて不用となってくるかもしれない。20世紀の初頭であれば万博は博識を広め、新技術を伝達するためのイベントであったかもしれない。だが、もう万博という使命は終わったのである。
これが、2日間、5万5千歩も歩き続けてくたくたとなった私の結論である。
2010年10月1日